癌の告知をどうするか
癌を癌患者さん当人に告知するかどうかは、非常に難しい問題です。
「あなたは がん です」と言われた時は「あなたはもうすぐ死にます」と同義語のように受取ってしまいがちです。
家族の方は「知らせると落ち込むから・・・」、「気が弱い人だから・・・」とよく言われます。
その気持ちは非常によくわかりますが、いずれは本人にわかってしまう事です。
「私がもし、ガンだったら・・・知らないよりは知っておきたい。」当然、「知りたくない!」と言う人もいますし、人それぞれなのですが、『自分は癌』と知ったほうが、人生の最後を有意義に過ごすことができるのではないか?という気がするのです。
確かに、癌を知らせずにこういった『代替医療を併用して・・・』というのも一つの手ですが、不信感を抱かせず、どうすすめるかが問題となるのです。
癌を告知されたとき、人は精神状況がこう移り変わるようです。診療内科医に教えて頂きました。
- 否認 ・・・ え~ 誰かのカルテと間違えたんじゃないか?
- 怒り ・・・ なぜ自分が・・・冗談じゃない!
- 取引 ・・・ 神様、もう少し生かしてくれたら・・・何でもします!
- 抑うつ・・・ 何も考えたくない、ほっといてくれ・・・
- 受容 ・・・ そうか、やっぱり死ぬのか。
『受容』・・・癌患者さんが自分の生命の終焉を静かに見守っている状態を感じます。
そこには死を受け入れるといった前向きさがみられ、癌患者さんと周囲の人との間に人間的つながりが深くなります。癌患者さんの死後、看取ったものにこれでよかったのだと、心の澄みを感じることだと思います。
「死ぬまでは前向きに生きる。」これが死の受容です。
『単なる諦め』(私たちが言うところの「あきらめ」とは違う絶望的な諦め)・・・人生の放棄です。そこには生への消極性が感じられます。もし、このまま亡くなられてしまうと、残された方々にも、これでよかったのか?という何かモヤモヤしたものが残ってしまいそうです。
絶望する人、死を受容する人、癌患者さんにはこの2つのタイプが考えられます。
「告知」は英語では「Truth Telling」(真実を語る)と書きます。
医聖ヒポクラテス 「時に治し、しばしば和らげ、いつも慰める」
これらの言葉は、私たち医療従事者にとっては、特に忘れてはならない言葉の一つだと個人的に思っています。